満開の桜を見渡しながら、お団子やお弁当、時にはお酒を仲間内で堪能する。
そんなお花見の様子は、日本にとって絶対必要な、春の風物詩じゃないでしょうか。
この日本のようなお花見文化様式は、意外と外国では行なわれていません。
「私も日本でお花見をやってみたい!」なんて考える外国人も多い。
まさに日本が誇るお花見ですが、いつの頃、どうやって始まったのでしょう。
そこで今回は、お花見の由来について紹介しましょう。
花見の発祥ルーツは奈良時代まで遡る!?
日本の花見の起源は、奈良時代に農村地域でやられていた、山の神信仰による、豊作祈願から始まりました。
その当時の民は桜の花が咲くと、山の神様が里に訪ねて来た考えられていました。
桜の木の根元に酒や御馳走を供え、それを神様と一緒に味わうことで、秋の実りを願っていたのです。
ちなみに山の神を「サ」と山の神の鎮座する場所を、「クラ」と呼称しています。
これが「桜」という名の由来となっております。
昔のお花見といえば「桜」ではなく「梅」だった!?
今のような花見の文化様式が定着したのは、奈良時代からです。
当時の書物である万葉集に、桜ではなく梅の歌が多く詠まれていました。
当時は奈良時代では桜の花ではなく、中国からプレゼントされいた梅の花を、花見していました。
この梅から桜に、花見の対象が異なっていった理由は下記になります。
✔中国からの遣唐使を廃止したことと、
✔御所が火災となり、多くの梅の木が焼失したこと
この二つがきっかけとのことです。
この梅の木の代役として、山の神と結びつきが深い桜の木を植えたことで、平安時代の頃に、やっと桜のお花見が定着したそうです。
なんだか思いもよらない真実ですよね。
花見という昔からの風習(伝統文化)はなぜ始まったの?
①:「花宴の節(かえんのせち)」
一つは812年に嵯峨(さが)天皇が行った「花宴の節(かえんのせち)」です。
これは桜の花見の始まりと言われていることもあり、日本にとっては、歴史的に大事な花見です。
②:「醍醐の花見」
もう一つは、1598年に豊臣秀吉が、京都の山城三宝院で行った「醍醐の花見」。
1300人も従えた、絢爛華麗な宴であったようで、当時の状況は、醍醐花見図屏風に書き留められています。
ではお花見が、権力者から一般庶民も満喫する行事になったのは、なぜでしょうか。
これには徳川家が大きく影響しています。
実は三代将軍徳川家光が、奈良の吉野山から上野に桜を移植し、桜の名所としたこと。
更に八代将軍徳川吉宗が、浅草や飛鳥山に桜を植えて、一般大衆が桜を愉しめるようにしたこと。
2人の将軍がきっかけとなって、宴会好きな江戸の民に、現在のお花見スタイルが、定着したんですね。
桜のお花見に徳川将軍が大きく結び付いていたとは、ちょっとビックリですよね。
花を見て心が落ち着いたり、キレイに思う気持ちは万国共通。
ですが、これに宴会を組み合わせたお花見は、日本独自の風習です。
またお花見には、神様と一緒に過ごすという、深い意味も隠されていましたね。
今年のお花見では、そんなことも頭に入れつつ、親しい仲間と一緒に、素敵なお花見を楽しんでください!
もちろん、実際にはお花見による飲み会が「つまらない」という意見があります。
花見を宴会スタイルにしたのは武将「豊臣秀吉」だった!?
花見の宴会文化に導いた人物こそが武将・豊臣秀吉です。
派手好きとして周知される秀吉は700本の桜を醍醐山に植え、1,300人もの客を御呼びして「醍醐の花見」を行ったとされます。
秀吉は全国の至る所から献上された銘酒・銘菓などを振る舞い、出席した女性全員に2回のお召し替えを命じるなど趣向を凝らしたとか。
この豪華絢爛(ごうかけんらん)なお花見が、桜を鑑賞しながら宴会を楽しむという図式へと変貌を遂げたそうです。
花見団子が定着したのは江戸時代からって本当なの?
お花見の文化が本格的に庶民に定着したのは江戸時代です。
その頃は、今のようにお酒ではなく、花見団子を主として楽しんでいました。
日本人は以前からお花見にお酒を採用してきたというわけではありません。
安土桃山時代のお花見は豊臣秀吉が主宰する「芸の披露目会」がメインでした。
この花見では多くの人が召還され、連日のように、茶会や歌の会、能の会が主催されたそうです。
この頃からお花見は少しずつ変化します。
そして、その4年後の「醍醐の花見」から、甘味が口にするようになり、
全国から名産品や甘物が呼び寄せられるようになったそうです。
ちなみに、花見団子と言いますと、桜色、白、緑です。
桜色は春の桜、白は冬の季節の雪、緑は夏の季節のよもぎを示唆し、
「秋」が無いから「飽きがこない」と考えられています。
なんだかオヤジギャグのようですね。
ですが、少なくとも江戸時代までは、
お花見で楽しまれていたのは「お花見団子」でした。
「お花見 定番 お菓子 現在」に関する記事も併せて読みましょう。
遣唐使が廃止された頃からありとあらゆる日本の文化が見直されました。
具体的に言えば、日本人は大陸から運び込まれた「梅」よりも、古来より日本に生育していた歴史ある「桜」を愛でるようになったと考えられています。
「お花見 今 昔 違い」に関する記事も併せて読みましょう。
「日本の桜」が誕生した発祥ルーツ(起源)を教えて!
日本ではやたらに名の知れた桜の木。
実は、桜の原産地は日本国内ではなく、ヒマラヤ近郊ではないかと考えます。
現在、北半球の温帯地域に分布しています。
そして国内でも交配や品種改良が意欲的に実施され、現在では600種以上もの品種が認知されています。
とりわけ、江戸後期に染井村(東京都豊島区駒込)の植木屋がオオシマサクラとエドヒガシの交配種である「吉野桜」が成立し、現在は「染井吉野」と改名されて、花見でもトップですね。
しかし、一つ困ったこともあって、染井吉野は観賞用として交配したので、自分自身で自然に生えていません。
現在だれもが拝見している染井吉野も、一本の原木から接ぎ木や挿し木で増やしたクローンなので、いつの日か寿命を迎え入れるのを恐れ、延命作業などに対策をとっています。
開花から約2週間咲く桜は、散るさまも正に儚げです。
桜が先の未来にも、満開な姿を後世に残していきたいですね。
お花見の発祥ルーツはわかるとより楽しめる!東京の人気スポットと時期を紹介!
東京都千代田区 靖国神社(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年3月下旬~4月上旬
ソメイヨシノやヤマザクラなど、約400本の桜があり、東京の開花宣言の基準となる「標準木」があります。
「千代田のさくらまつり」の期間に合わせ多くの露店が並び、行事もたくさんあります。
千代田のさくらまつりは、開花状態により日程が決まるので、直前に確認しましょう。
京都中央区 浜離宮恩賜公園(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年4月上旬~4月下旬
江戸時代の代表的な大名庭園です。
4月上旬はソメイヨシノ、4月中旬にはヤエザクラが満開になり、
ウコンザクラなどマニアックな品種も堪能できます。
東京都千代田区 千鳥ヶ淵公園(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年3月下旬~4月上旬
千鳥ヶ淵緑道のソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本の桜は遊歩道を歩く人の頭上に咲き、
まるで桜のトンネルの中を歩くような体験ができると思います。
都内だと六本木もオススメですよ。
「都内 お花見 六本木」に関する記事も併せて読みましょう。
東京都台東区 上野恩賜公園(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年3月下旬~4月上旬
上野の桜は京都の吉野山から入れ替えされたといわれ、江戸時代から桜の有名スポットとして人気が高くなっています。
園内には約1200本の桜が植えられています。
東京都武蔵野市 井の頭恩賜公園(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年3月上旬~4月上旬
池の周辺には約250本の桜が植えられており、公園全体だと約500本になります。
ヤエザクラ、しだれ桜など多くの品種が植えられており、おおむね1か月間ほどどんどん咲く桜を拝観することができます。
東京都目黒区 目黒川沿い(桜の花見スポットや見頃時期など)
見ごろは例年3月下旬~4月上旬
約3.8㎞の川沿いの左右の岸に、約800本のソメイヨシノが植えられています。
川沿いを散歩しながら、川の上に咲き誇る桜が楽しめます。
お花見が飲み会(宴会)の文化風習になってからマナー違反者が続出
花見した後に持参したゴミを持ち帰らないで放棄するマナー違反
花見会場ではペットボトルなどのゴミが増えてしまって
いるのが現在の状況なのです。
たまにマナーの悪い集団や団体が酔っぱらって、ゴミを
持って家に帰らないということがあり、問題となっているようです。
「お花見 マナー違反」に関する記事も併せて読みましょう。
花見スポットの場所取りに関するマナー違反
禁止場所ということが伝わる看板や案内をスルーし、
場所取りをする行為はマナー違反です。
例えば、花見スポットによっては、
早朝からの長時間による場所取りが禁止であったり、
レジャーシート必要以上に強いて、場所を無理やり確保するなど、
周囲の人間に配慮がないマナー違反者もいます。
花見で騒がしい宴会をして夜桜の風情を台無しにするマナー違反
夜桜の宴もイルミネーションが幻想的で素敵ですね。
昼間の花見は家族連れが大半だったりしますが、夜桜見物は社会人がしっとりと
その桜の美しさを堪能したいと訪問する人が多い中で、夜桜=無礼講と
言わんばかりにどんちゃん騒ぎしているマナーの悪い人がいます。
花見中に桜を折ったり木に登ったりして傷つけるマナー違反
泥酔すると楽しくなり、大胆な行動になる人がいます。
手に届く桜の枝を折ったり、桜の花をもぎ取る人がいるようです。
また近頃では、SNS投稿(よくあるインスタ映え)に活力が漲って、桜の枝に
体重をかけてへし折れそうになるくらい曲げて撮影したりと、好き放題
で周りがわかっていない人が多いようです。
花見の発祥ルーツって?昔からの風習(伝統文化)はなぜ始まったの?歴史的な起源を紹介~まとめ
このページであなたのお悩みは解消されたでしょうか?
桜の花見の宴が始まったのは凡そ江戸時代と言う事で間違いありませんね。
時代とともに変化している「桜の花見の宴」。
当初は桜を鑑賞しながら詩を謳うという上品な習慣だったものがいつしか、飲み会のような下品なモノになっていったのは悲しいですね。
余談ですが、会社員も花見をしますが、半数近くの人間が「職場の花見が面倒だから嫌い」という意見もあります。
歴史を遡ると「豊臣秀吉」がこの悪しき花見の宴会文化の元凶ということがわかりますね。
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